夜勤前は基本的に憂鬱だ。
今回も行きたくなくて、それでも頑張って行った夜勤だった。
前日から、そろそろステルベンしそうな人がいると聞いていたせいで、ただでさえ重い足取りが、さらに重くなっていた。
普通に夜勤だけでも十分に嫌なのだ。
そこへ「たぶん今夜あたり」という空気まで乗せられる。看護師って、勤務が始まる前からじわじわ削られる仕事なんだなと、こういう時に思う。
で、いざ出勤してみたら、その人はもうお迎えの準備を終えていた。
夜勤にはかからなかったよ、と言われる。
正直、ほっとした。
もちろん、亡くなったこと自体は悲しい。
そっと手を合わせて、お別れもした。そこに嘘はない。
でもその一方で、心のどこかで「夜勤中じゃなくてよかった」と思ってしまう自分もいる。
たぶん、こういうのは現場で働かない人にはあまり理解されない。
人の死に対して“ほっとする”なんて不謹慎だと思うかもしれない。
でもこっちだって好きでそんな感情になってるわけじゃない。死を軽く見てるんじゃなくて、ただ修羅場を前にして身構え続けるのに疲れてるだけだ。
悲しいのと、ほっとするのは、別に矛盾しない。
現場ではわりと普通に同居する。
たぶんそれが、きれいごとでは済まない仕事ってことなんだと思う。
夜勤が始まって、慌ただしい食事の時間が終わるころには、今度はホールがざわつき始めた。
こういうざわつきって、不思議なくらい広がる。
一人が落ち着かなくなると、空気まで落ち着かなくなる。
あちこちで小さな火種がくすぶっていて、「あ、今日はこのまま静かには終わらないな」とわかる。夜勤って、平穏そうに見える時間ほど信用できない。
そんな中で、介護士さんから
「すいません、〇〇さんが転倒しました」
と報告が入る。
まあ、転倒自体は珍しくない。
正直、またか、と思う。
でも今回はかなり痛みが強そうだった。
外傷を確認する。
失血なし。
今のところ内出血も目立たない。
歩行もできる。
ただ、右肘関節が怪しかった。
触ると苦悶の表情が強くあらわれる。
屈曲位から伸展を極度に嫌がる。
腫れはまだ目立たないけど、痛みはじわじわ強くなっている感じがある。
バイタルを測って、当直医へ報告。
診察を依頼する。
幸い、明らかな骨折ではなさそうだった。
救急搬送もなし。
ただ、脱臼か肘内障か、ということで、その場で整復が始まることになった。
当然、患者さんは痛みに反応して暴れる。
叫ぶ。
蹴る。
で、こっちはそれを支えながら整復の介助をする。
こういう時いつも思う。
夜勤って、静かに記録を書いたり、穏やかに巡視したりしている時間より、「なんで今それが来るんだよ」みたいな時間のほうが、ずっと夜勤らしい。
しかも、人手が少ない時に限ってちゃんと起こる。
現場ってほんと、こちらの都合を一切考慮しない。
まあ、患者さんの状態がこちらの都合に合わせてくれるわけないので、当たり前なんだけど。
当たり前なんだけど、せめて少しは空気を読んでほしいとか思ってしまうあたり、たぶんもう疲れてる。
でも、当直医の腕が良かったのか、整復は思ったよりあっさり終わった。
「はまったわ」と一言。
患者さんも少し落ち着いて、さっきまでの強い痛みが和らいだようだった。
その瞬間、ようやく少し息がつけた。
で、そういう時に限って、変なことを考える。
ステルベンに当たらなかったことにほっとした、そのバツが当たったんじゃないか、とか。
もちろん、そんなのただのこじつけだ。
出来事に意味なんてないし、夜勤はただ普通にしんどくて、現場はただ普通に慌ただしいだけだ。
でも、人間って疲れてくると、因果関係のないものに意味をつけたくなる。
少し安心した自分に対して、「そんなふうに思ったからだろ」と勝手に罰を与えたくなる。
たぶん、真面目な人ほどそういう無駄な反省をする。しなくていいのに。
結局、今日もこうして夜勤をこなしていくんだろうと思う。
立派だからじゃない。
使命感に燃えてるからでもない。
ただ、その場その場で起きたことを片づけて、朝までなんとか持ちこたえるだけだ。
たぶん夜勤って、そういうものだ。
きれいじゃない感情もある。
ほっとしてしまう自分もいる。
面倒だと思ってしまう瞬間もある。
それでも一応、必要なことはやる。
完璧な医療者じゃなくても、夜勤は回る。
いや、むしろ、こうやって心の中では文句を言いながらじゃないと、長くは続かないのかもしれない。
……これでも看護師歴10年だ。
あの時はその場を回すので精一杯だったけど、あとから考えると少し引っかかる。
高齢者に肘内障は原則ないはずだからだ。
その違和感を症例ベースで掘り下げたのが「高齢者には肘内障は起きない。じゃあ、あの夜勤で何が起きていたのか」で、
脱臼と肘内障の違いそのものを整理したのが「脱臼と肘内障の違い。高齢者でも肘内障になる?」です。

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