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見た気もする、見てない気もする。その曖昧さが一番しんどい

ちょっと、いや、かなりドキッとすることがあった。

以前、俺が病棟から移動に関わった患者さんがいる。

で、俺も同じ病棟に移動になっていた。

そして今回、その患者さんがまた移動になることになった。

そこで問題が出た。

靴が一足ない。

こういうの、本当に嫌だ。

派手なインシデントじゃないぶん、逆にじわじわ嫌なやつだ。

命に直結するわけじゃない。

でも、だから軽いとも言えない。

あとから地味に効いてくる。

最初は、誰が前に移動させたんだろうか?確認するためにカルテを見返す。

そしたら、まさかの自分だった。結構前のことで忘れていた。

その瞬間、嫌な汗が出る。

ああ、終わったかもしれない、と思う。

いや、本当に終わったわけじゃないんだけど、気持ちとしてはだいぶ終わる。

急いで前にいた病棟に、靴が残っていないか確認した。

でも、ない。

今の病棟をもう一度探した。

やっぱり、ない。

こうなると、もう見つからない。

いつからないのかもわからない。

移動した時、靴を持ってきたのかも自信がない。

人間の記憶なんて曖昧。さっきのことだって忘れることがあるのに

時間が経った記憶なんて怪しさしかない。

見た気もする。

見てない気もする。

あったような気もする。

なかったような気もする。

人間、追い詰められると記憶が急に霧みたいになる。

普段は「ちゃんと確認しないと」と思っているくせに、こういう時に限って、自分の行動を何ひとつ断言できなくなる。

きちんとチェック表はある。

そこまではある。

でも、その先がなかった。

申し送りをした記憶はある。

たぶん、した。

いや、したはずだ。

でも、荷物の確認をそこまで丁寧にしたかと言われると、急に黙りたくなる。

たぶん、ちゃんと見ていなかったんだと思う。

もちろん、途中のどこかで別の経路で紛れた可能性もある。

本当に自分がなくしたのかは、正直まだわからない。

でも、こういう時、人はわりと簡単に自分を犯人にする。

というか、自分が一番怪しいと思ってしまう。

そのほうが話が早いし、たぶん責任感の強い人ほどそうなる。

正直、少し落ち込んだ。

こういう出来事って、誰かに怒鳴られたとか、大きなミスをしたとか、そういうわかりやすいやつじゃない。

でも地味に効く。

ちゃんとやったつもりだったのに。

たぶん大丈夫だと思っていたのに。

その“たぶん”が崩れる感じがしんどい。

看護師をやっていると、こういう「決定的ではないけど気持ちが削れる出来事」がちょこちょこある。

しかも、忙しい時ほど起こる。

忙しい時ほど確認は雑になるし、雑になったところを、あとから現実がちゃんと回収しにくる。

よくできてる。まったくうれしくない形で。

だから結局、思う。

確認って、面倒でも飛ばしちゃいけない。

申し送りって、記憶より記録だ。

当たり前のことなんだけど、疲れているとその当たり前が雑になる。

まあ、そりゃそうだ。

人間だし。

毎日そんなに完璧にはできない。

でも、だからこそ、

「自分は疲れると抜ける」

「焦ると確認が甘くなる」

そのくらいは自覚しておいたほうがいいんだと思う。

自分を優秀だと信じるより、信じたことないが…

自分は抜ける前提で動くほうが、たぶん事故は減る。

今回のことは、正直かなり嫌だった。

できれば経験したくない種類のドキッとするやつだった。

でも、こういうのも含めて現場なんだろうと思う。

うまくできる日もあれば、記憶が曖昧で、自分を疑うしかない日もある。

それでも、必要以上に自分を刺し続けなくていい。

反省はしたほうがいい。

でも、自分を処刑するところまで行く必要はない。

次は確認をもう一歩丁寧にする。

記憶じゃなく、記録と現物で見る。

それで十分だと思う。

完璧じゃなくてもいい。

ただ、同じしんどさを少し減らせたら、それでいい。

おそらく、しばらくは確認中毒になるのだろう。

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